ドラマではよくあるけど

ドラマではよくみるけど

 

リアルには見たことないやつ

 

仕事が忙しくて

 

または

 

仕事をたくさん押し付けられて

 

ファイルやら段ボールを

 

顔の前まで両手に抱えて

 

社内を移動してる

 

そして、

 

案の定、

 

その山が崩れて

 

床にぶちまける

 

ってシュチュエーション。

悲しみと不幸は

悲しいと不幸はイコールじゃない。

 

苦痛と不幸はイコールじゃない。

 

病気になると不幸はイコールじゃない。

 

自分の思い通りにならないはイコールじゃない。

 

 

これをイコールで結んじゃうから

 

掛け算式に

 

辛さが

 

どどーんと襲ってくる。

 

割と忘れがちで

 

イコールにしちゃうのよね。

 

嫉妬の正体

嫉妬という感情の定義を随分と長い間間違っていた。

 


嫉妬とは、自分より優れている(と自分が認識している)ひとに抱く感情なのだと思っていた。

 


しかし、実態は逆。

 

 

 

自分よりも下(と自分が認識している)人に対して感じる感情なのだ。

 

 

 

自分より下はその時その場で変わる。

 

 

 

例えば

 

 

 

自分より年下なのにいい暮らしをしている

自分よりも稼いでないのに楽しそうだ

自分よりも若くないのに優しくされている

お金を払ってる自分よりも店員の方が美人だ

 


とか。

 

 

 

自分よりも何かしら劣っている(と思っている)人がいい思いをしている(ように見える)

と発作的に発動される感情なのだ。

 

 

 

私の話をすれば、

 


イチローがどんなに賞賛されようが、お金をたくさん持っていようが、楽しそうだろうが、嫉妬という感情は抱かない。

 

 

 

すごいなー

いいねー!

かっこいいなあ。

 

 

 

という感じ。

 

 

 

嫉妬=羨ましい

 

 

 

と思っていたから

 

 

 

嫉妬の感情を感じると

 

 

 

羨ましくなんてないわー!

 

 

 

と嫉妬プラス怒り?の感情を抱いていたが。

 

 

 

羨ましいは羨ましいが。

 

 

 

この羨ましいが

 

 

 

この素晴らしい私を差し置いて下々のお前が私の持ってないものを手にしてるのが気に入らん!

 

 

 

の羨ましいだったわけで。

 

 

 

そう考えると笑えてくる。

 

 

 

自分の方が優れていると(上記のように勝手な理屈をつけて)思考する優位性の法則は動物的な反応なので、これはどうにも止めようがない。

 

 

 

私個人の場合は

 


嫉妬を感じると

 


羨ましくないのになんで?

 


というモヤモヤがあった。

 


嫉妬を感じた時に私みたいな感覚がする人は

 

 

 

この素晴らしい私を差し置いて、お前みたいな下々の者が●●してんじゃねーよ!

 

 

 

と私は今、感じてるんだなと思ってみると

割と早くこの気持ち悪い嫉妬という感情を手放せるかもしれません。

令和

元号

 

令和

 

に決まりました。

 

まだまだ馴染まない感じはあるけど。

 

平成が発表された時も

んー?

と思ったから、これから馴染んでくるでしょう。

 

たとえば、

 

ぶんせい

 

だとしたら、

 

 

なんか重い感じがする。

 

今の時代には違う感じがする。

 

そういう意味では

 

軽やかさと高貴な響きは

 

これからの時代にあってるように思う。

 

更にツイッター情報だと

 

れいわ

 

という響きは

 

チベット語では

 

希望

 

 

という意味があるらしい。

 

偶然の一致もなかなか素晴らしい。

 

元号を使っているのは今は日本だけなんですってね。

天皇が交代するのをタイミングに(昔は違ったけど)その時代に願いを込めて名付けをするって、なんかいいよね。